ウィメンズカウンセリング松山 スタッフブログ

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クマリの館に入り、スシル氏の話を聞きながら写真撮影を終える。クマリは観光客のために窓から数秒間顔を出すこともあるとのこと。ガイドのスシル氏が3階の窓にいる世話人にネパール語で呼びかけた。私たちは合掌した。「ナマスティ」 間もなく、ほんの3秒くらい「ロイヤル・クマリ」が真ん中の窓から顔をのぞかせた。
・・・化粧も第3の眼もない普通の少女だった。
彼女の未来に幸あれ。少しの寄付金を箱に入れこの場を離れた。
クマリのその後
女神から普通の女性になった彼女たちは、学校に通ったり結婚するらしい。なにしろ元女神と結婚するのだから男性も苦労するらしい。早死にする男性もあるというが本当のところは知らない。
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帰国してからネパールに関する情報を見直していたところ、「クマリ」の情報に驚いた。
私たちの見たクマリは「ロイヤル・クマリ」だったのだが、なんと「ローカル・クマリ」が解任され、後任を探しているらしい。その理由は、カトマンズ郊外のバクタブルに住む「ローカル・クマリ」がイギリス制作のドキュメンタリーの宣伝にアメリカを訪問したのが事の発端。ヒンドゥー教徒、仏教徒から慕われる「クマリ」が伝統を無視したとのことだが、制作側の意図はなんだったのだろう。(写真は“flickr”より By sujathafan)
私個人からみれば「クマリ」=女性問題、人権問題だが、ネパールの人々にとっての「クマリ」は宗教であり国の象徴であり、ヒンドゥー教と仏教が混在しながらも宗教戦争に至らないという独特な国なのだ。「クマリ」のことを本当に考えなくてはいけないのは、ネパールの人たちなのだ。
解任される彼女に年金は支払われるそうだが、ジェット機に乗ってアメリカを見た「ローカル・クマリ」は何を考えただろう。解任後の彼女に沢山の幸せが訪れますように・・・。
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2回にわたってクマリのことを述べてしまった。旅行記にもどろう。
名所旧跡を周るのだが、どこも赤レンガと彫刻ばかりで似かよっている。歴史も知らないし耳慣れない名称も混乱の原因だが、特徴的な寺院の写真をご覧いただこう。パタン観光の入口。ダンバール広場に向かう。レンガの建物が多い中で、石造りの建物は珍しいクリシュナ寺院。
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旅はあと1日となった。  つづく guni K
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# by wcm050401 | 2008-04-22 11:48
カトマンズの「クマリの館」を紹介しよう。
「クマリ」には「ロイヤル・クマリ」「ローカル・クマリ」との二つに大別されるらしいが、ここでは「ロイヤル・クマリ」についてふれる。
(少し長くなりますが、お付き合いを)
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クマリは、血のけがれのない(初潮前)ネワール仏教徒のサキャ出身の少女に限られる。3~5歳の少女から選ばれ、ケガや初潮による出血がみられると次の新しいクマリに交代する。そんな話を聞くと、「クマリ」を知っている方もあるだろう。
ネパール王国の守護神である女神タレジュの生まれ変わりとされている。これには言い伝えがさまざまあるらしいが、スシル氏から聞いた話によると、
 王様が女神のタレジュとサイコロ遊びをしていたが、彼女の美しさに魅せられて、ある時に彼女に言い寄り性交渉をしてしまい、それが原因でタレジュはショック死してしまう。女神に恋い焦がれていた王様の枕もとに、ある日タレジュが現れ、幼い少女に化身することで会うことを許された。タレジュの化身となる少女を選び王宮に住まわせ「生き女神」として崇拝するようになったという内容であった。

役割
一年に一度、インドラジャトラの大祭(10月頃)の時には土には一歩も触れることなく山車にのって言葉を発することなく町を巡行する。それ以外は館から外に出ることはない。人の姿はしている女神なので人々に慕われているという。この少女を前では国王もが、その額で少女の足元に触れ平伏すらしい。「ロイヤル・クマリ」は絶大な力を持ち、幸運をもたらし、国の予言も行うので、国王とは深い関わりを持つといわれている。

選考基準
選考委員は首相、王宮付占星術師、ヒンドゥー教祭司と仏教僧らしい。
この選定の中身がすごい。
「クマリ」は家柄が重要で、ネワール族の仏教徒の僧侶・金細工師カーストのサキャの生まれの3~5歳の少女。
国のヒンドゥー教の布教のために仏教徒を選び、カースト制度を構築したようにも考えられなくもない。そう考えると、ヒンドゥー教と仏教が共存していることが不思議でないようにも思う。個人の主観はともかく、「クマリ」となる選考基準を紹介したい。
まずは32の条件をクリアしなくてはならない。
(32の条件→カトマンドゥの谷のクマリ― ネパールの生ける女神に関する考察― 磯忠幸 一部引用)
1.均並のとれた足  2.足の轟に螺旋形の紋様があること  
3.生った爪  4.長くて、形状の良い足指  5.あひるのような手足  
6.柔らく、しなやかな手足  7.肩幅が広く、肢がくびれた身体 
8.鹿のような股  9.小さく,上品に隠れた性器 
10.獅子のような胸  11.上品に張った肩  12.長い腕  
13.純潔なる身体  14.巻貝のような首  15.獅子のような頬  
16.40本の歯  17.白く尖った歯  18.歯間がないこと  
19.小さな、繊細な舌  20.湿った舌  
21.あひるのように,澄んで、やわらかな声  22.青色か黒色の瞳   
23.牛のような睫毛  24.白い光沢の映える、美しい容貌 
25.黄金色に映える顔艶  26.毛穴は小さく、開きすぎていないこと 
27.右にカールした巻き毛  28.黒い髪  29.広く、上品に整った額
30.頭頂で円錐形となる丸い頭  31.菩提樹のような形状の身体
32.健康な身体 
選ばれた少女には更なる試験がある。
9月下旬から10月初旬に行われるお祭りで、最終日の満月の夜に宮殿内で行われるダサイン祭という。108頭の水牛や山羊、鶏などの頭が切断された血の海を進む。泣いたり怖がったりしない、平静でいられる少女が選ばれる。そして、国王との星回りも重要なポイントとなるという。(祭りの後、動物の血は神に捧げ、肉は人間が食べる。)
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(写真は撮影を禁止されているためポストカードのものです。)
暮らし
クマリに選ばれた少女は両親のもとを離れ、この建物の2・3階部分だけで生き女神クマリとしてクマリの館に世話人と住む。日常的にはクマリ館で神々の振る舞い方を教え込まれながら人々の願望成就を祈っている。一年に一度、インドラジャトラの大祭(10月頃)の時に山車にのって町を巡行する以外は館から外に出ることはない。
社会と隔絶された建物の中だけで王様からも崇拝され、望むものを与えられて「生きた女神」として暮らすのだ。ケガなどによる大出血や初潮を迎えるまでは軟禁状態といえるだろう。
役割を終えればクマリの館を去るだけ。彼女たちは公務員の約2倍の年金をもらうことになるそうだが、突然、俗世間に放り出されるにはちがいない。一般社会に順応するには想像以上に努力が必要なことだろう。現在は教育を担当する世話人もいるそうな。近年は学習や知識の遅れ、引退後のことを思うと「クマリ」にさせることを嫌がる親が多くなっているとスシル氏は話した。
話は長くなったが、彼女の人権を皆さんはどう思いますか?
つづく   guni K
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# by wcm050401 | 2008-04-20 21:55

ネパール旅行記12


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ネパールの国教といわれてはいる。ヒンドゥー教徒は約8割強、仏教が1割弱、イスラム教と続く。実際にはヒンドゥー教と仏教が混在していて、互いの寺院が同じ敷地内にあるとこも。
またヒンドゥー教は日本の八百万の神ほどの神々がいるらしい。しかもヒンドゥー教の神々は化身を持っていて神が跨る動物がいるという。数時間の滞在ではスシル氏の話とトラベルガイドぐらいでしかヒンドゥー教のことは分からない。しかも、神様の名前がヤヤコシイし、化身などになるともっと混乱してしまう。 牛を食べないこと(水牛は食べる)、生贄があること、カースト制度があること、断食があることくらいしかわからない・・。

スシル氏の話によると、彼は独身だそうな。この2月に結婚をする予定だったが、金銭的な理由もあり先延ばしにしてるという。ネパールのカースト制度がインドの廃止されたそれとどのように違うのかなどは知らない。恋愛結婚も増えつつあるが、同じ部族間での結婚でなければ結婚を許されないという。駆け落ちずれば親子の縁を切るしかないとも言う。本人同士の合意ではなく、親が認める相手でなくてはならない。・・・これって少し前の日本にもあったような・・・。

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ダッタトラヤ寺院:15世紀のヤクシャ・マッラ王の統治時代に建立され後に1458年にビシュワ・マッラ王により改築されたとのこと。
 1本の木から彫りだされたといわれるヒンドゥー教の寺院。寺の正面には、柱があり、その上にはヴィシュヌの乗り物であるガルーダの像がある。伝説の戦士のジャヤ・マッラとパッタ・マッラの像が一対ある。ダッタトラヤはブッダのいとことされるため、仏教徒にとっても重要な寺院で、ヒンドゥー教・仏教の両教徒が参拝するとのこと。

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バイラブナート寺院:17世紀の建立とされたが、1934年の大地震のあとに建て直されたものだ。
ヒンドゥー教の寺院で、本尊としてシヴァの化身であるバイラブが祀られている。正面の狛犬風の神獣がユニーク。

ネパールの寺院でよく目にするのが、軒先を支える方杖(ほうづえ)。ちょっと驚く理由は、軒先の支えの彫り物が、自然の造形の下に神、その下に神獣、その下に男女交合の図柄だからだ。仏教を布教するためとか修行の場とか、稲妻の女神は恥ずかしがり屋なので、そんな彫刻がある寺院に雷は落ちることはないとか、言い伝えも様々でホントのところはわからない。

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ダンバール広場で一休み。観光客だとわかったら、物乞いの子どもたちが目をキラキラさせて近づいてくる。デジカメを一緒に覗いて、どこに泊まったのか?どこの国の人か?英語で質問をしてくる。私など習った英語も過去のことで全く話せないのも同然だが、小さくても生きていくために身につけた英語なのだろ。朝から何も食べていないとか、チョコレートやキャンディはないかとか、付きまとってくる。
 少し年配と思われる女性が女性観光客に近寄り民芸品やネックレスを勧めているが、売上があったのだろうか? 女性のその様子を観察していると、どこからともなくやって来た男が彼女の売上を取り上げているではないか。女性は不快な顔つきで男を睨み、金銭を巻き上げた男は笑っている。どこの国でもある光景なのだろうが、搾取とは許せないと憤るが、ここはネパール言葉も通じない。
複雑な思い・・・。

次回は「クマリ」についてふれよう。   つづく  guni K
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# by wcm050401 | 2008-04-18 00:19

ネパール旅行記11

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3月26日
日の出を見に屋上に行く。大勢の外国人で屋上は満員だ。湿気のためなのかヒマラヤの朝焼けは、はっきりとは見えなかった。

1時間半をかけて、もと来た道をくねくねとカトマンドゥに戻る。道路工事のダンプカーに出会う。崖に落ちはしないかとハラハラしながら工事のトラックと道を譲りあいながらすれ違う。

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カトマンドゥ市内を東に移動する。
ネワール族の古都の表情をご覧いただこう。
バクタプルを歩く。赤茶色のれんがの町並みを歩く、この町並みを歩くには入場料が必要なのである。(文化財保護基金US10$)
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昔の家並みを見ながらバザールを歩く。活気がある。観光客を見ると男も女も品物を手に商売を始める。逞しい!。私たちの歩く速度に合わせて、どこまでも付いてくるのだ。
豆類販売や香辛料の店と町並みはにぎやかだ。果物屋はリンゴにマンゴー、葡萄にざくろ…いろいろだ。バザールで見かけた「ドアノブ」は笑える。
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学校も近くにあるのだろう。制服姿の子どもたちをあちこちで見かけた。子どもとも大人ともつかない思春期の子どもたちには制服がよく似合うと私は思う。
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町並みは赤茶のレンガと窓の木工彫刻が調和して美しい建造物となっている。木工彫刻を見るとその繊細さに驚く。それだけでも十分に美しいのに赤レンガとの相性は彫刻をいっそう引き立てている。この歴史的建造物を補修しないのだろうか?どの建物も傾きかけている。
文化財産が徐々に崩れていくのは惜しい思いがする。外資系の力を借りて文化保存というわけにはいかないものだろうか・・・。

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ニャタポラ寺院: 5重の塔の石段の両脇には伝説上の戦士、象、獅子、グリフィン(四足の架空の鳥)、女神の石像が守護神として1対ずつある。それぞれの守護神が上に行くほど力を増していくそうだ。ここに登れば町が見渡せる。町中、赤レンガ色なのだ。

プジャリ・マート:木彫博物館になっている建物で、かつてはヒンドゥー教の僧院として使われていたらしい。15世紀のヤクシャ・マッラ王の時代に造られ、1763年にラム・ダッタ・ギリという僧によって改築された。
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この建物の外側にある孔雀の窓がネパール工芸美術の最高傑作とされている。
羽を広げた孔雀の周りに小さな鳥や動物などが彫られているらしいがよく見えないのが残念。どこの窓も木彫りの彫刻がすばらしい。  つづく guni K
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# by wcm050401 | 2008-04-16 01:25

ネパール旅行記10


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ナガルコットのホテルに到着したらすぐに昼食が待っていた。ネパールに来てからの食材といえば、キャベツに人参、ジャガイモに豆、カリフラワーと焼いたトマト。
トマトと言えば、サラダの他にスープやソースの中が普通だが、グリルやフライパンで焼いたと思われるトマトは、正しく野菜という言葉が相応しい。焦げのついているトマトは初めは驚いたが、次第に美味しさがわかってくる。ネパール人に近づいた気分?
肉類といえば鶏皮を取り除いた鶏肉ばかりだった。
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懐かしい形のカギを渡され部屋に入る。ホテルの部屋は小さく、ベッドサイドテーブルにはポットとロウソクが置かれている。停電に対応するものなのだろう。
ついでだが気圧で太ったコカコーラも初めて見た。

部屋の窓は隙間だらけで風の唸る音が絶えない。

ゆっくり過ごし疲れをとった後、ホテルの周辺を一人で出歩くことにする。
棚田は2000Mの頂上まで耕されている。ネパールが農業国だということを実感する。
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ホテルの正面口から坂を下ろうとすると、観光客目当ての少年が「ハガキ ヤスイヨ」と言いながら何十メートルも付いて来る。何度も「イラナイ」と断るが付いてくる。なんだか断るのが面倒になったので、「貰ったから 要らない」と答えると「モラッタ? ダレニ?・・・ドコデ?」と達者な日本語で話すのには驚いた。
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山頂に建つホテルの屋上でヒマラヤの夕焼けを見る。時間がゆっくりと過ぎる。ヒマラヤの山々はくっきりとは見えなかったが、あの山の向こうのチベットはどうなったのだろう。
夕食を終え、自室に戻る。風は相変わらず吹いているが、夜景を見ようとベランダに出て思わず叫んでしまったのだ。「星がきれい~! すごい数だよ」それを聞きつけた娘の反応が早かった。
「私、屋上に見に行く!」寒さと暗闇で危ないし怖いと言うと、一人でも見に行くというので、娘について行くことにする。
暗闇に目が慣れてくると、星の数はどんどん増えていく。オーバーなようだが人生初の星の数に囲まれている。
私たちの声でツアーの仲間が屋上に足を運ぶ。
さすがに夜は冷え込む。 つづく guni K
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# by wcm050401 | 2008-04-14 11:06

ネパール旅行記9

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3月26日
4:15 ドアがノックされた。モーニングコールだ。
今朝はチャンドラコット(1580M)へ、ハイキングに出かける。暗闇をバスで1時間、夜明けが近づく。山の尾根にそって村の中を歩いて45分。見えていたはずの山からはどんどん離れていくが、山で暮らす人々の暮らしが少しだけ見える。女性が朝の水くみをしている。男性の姿は一人として見られなかった。
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山道には制服を着た子どもたちとすれ違う。スシル氏によると卒業試験のシーズンらしく普段、登校している学校ではなく、街中にある試験会場に向かうのだという。ノートを持った生徒たちはバス乗り場に急いでいるらしかった。
 山の突端にたどり着き、ここが終点ですと言われ、開けた谷のその向こうに、アンナプルナサウス(7219M)が白くそびえ立っていた。その美しさに一同感動するのみ・・・。
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ふと見上げると学校らしき建物があるのに気づく。勝手に見学させてもらうことにする。スシル氏の言うとおり、今日は生徒が試験に出かけて誰もいない。
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学校がある地域はまだよいが、どんな奥地にも学校があるとは限らない。不足しているのだ。ネパールの識字率はおよそ3割。女性はさらに低い。小学校に行く子どもも6割に満たないとスシル氏はいう。家業(農業)を継がせるために、この地を離れぬために学校には行かせないケースもあるとのこと。d0148801_0411220.jpg

自然を満喫して去ろうとした時、私たちの声が聞こえたのだろう。日本の若者3人がゲストハウスから出てきたのだ。岐阜、長野、愛知の出身だと言ったと記憶する。これから目の前の谷を下ったあとは稜線を行くというのだ。
互いの無事を祈りつつ別れる。
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 今日でポカラを離れる。
ポカラの空港ではスーツケースを開き中を確認する手荷物検査に驚いた。
皆の前で自分の荷物を公開するのだから、顔が歪みそうだった。
小型機に乗ってカトマンドゥへ飛ぶ。着後は、ナガルコット(2100M)に向かう。大型バスとすれ違う時など、運転を誤ろうものなら谷底に落ちるに違いない。クネクネした狭い道を1時間半をかけて行くのだ。
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# by wcm050401 | 2008-04-13 00:53

ネパール旅行記8

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フェア湖遊覧の話にもどろう。舟番に誘導され一人ずつ重心をとりながらゆっくりと乗り込む。5~6人が乗り込むと、やがて小舟が漕ぎだされる。泳げない私は万一を想像してしまう。
せめてライフジャケットを着用したい。
後ろも振り返れないほど全身を強張らせていたが、ふとしたきっかけで振り返ってみると、舟を漕いでいるのは女性なのだ。
乗り込むときには男性が舟番をしていて、女性の姿は見えなかったと記憶する。舟漕ぎといえば男性を想像してしまいがちだが、ここでもまた女性の活躍である。真黒に日焼けした女性の年齢は想像もつかない。
1時間近くも漕ぎ続けた彼女に「ナマスティ」と胸の前で両手を合わせて礼をいう。
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レイクサイドの商店街をウロツつく。スーパーマーケットを発見。ちょっとしたコンビニエンスストア風といった品揃えの店だが、店内の明かりは消され、薄暗い中で商品を探す。ネパールの商品にこだわり時間をかけて品定めをした。お菓子とラーメンを発見。大学の仲間のお土産だと言って、娘はニコニコ顔で大量に買い込む。
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納得できる買い物のあとはバングル(ブレスレット)を探しに行く。
ネパールの女性はピアスと幅3㍉程度のバングル20個ほどを束にして小物類を上手に身につけている。
娘がカラフルなバングルを選ぶのに迷っていると、勧め上手なネパール人は彼女の腕にぴったりなサイズを見つけて、いくつも着用させる。
娘「え~ どうしよぉ こんなにたくさんイランのに、どうしたらええん」
私「イランって断ればいいだけじゃん」
娘「なんて言うん? ね これいくらするん?」
私「自分で聞けばいいじゃん でさぁ?いくついるの?」
私たちの前には、カラフルなバングルが次から次へと出てくる。

現役大学生とは思えない娘の語学力にあきれる。
気に入ったバングルを手にして交渉成立。やれやれ・・・。
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# by wcm050401 | 2008-04-12 00:15

ネパール旅行記7


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フェア湖の船乗り場に行く。1時間かけてフェア湖を遊覧しようというものだ。
午後からの散策でトイレに行く人は有料トイレですがいかがですか?とスシル氏が問う。彼の解説によると、臨時トイレとは書いているが、大が3ルピで、小が2ルピと料金が違うという。ネパール式のトイレに抵抗を感じて我慢することにする。
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話は脱線するが、スシル氏によると、トイレの拠点となる駅やデパートなどの施設がないということもあり、公衆トイレはほとんどないらしい。
上級ホテルは紙も流せる水洗だが、もともとネパールにはトイレで紙を使う習慣はなかったのだ。
ネパール式=便器の横のバケツの水…不浄の手(左手)…お尻…と続けば想像は容易だろう。ついでだが、子どもの頃にあった「落とし紙」を覚えている方もあるだろう。チリ紙より粗悪なものといった感じだが、ホテルにあったペーパーは、落とし紙が緩く巻かれたものなので、すぐになくなる。でもお尻には優しい。
私たちの暮らしはどうだろう。必要以上に紙を使用して水を使う。
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水といえば、ネパールのあちこちで見られる光景の中に水くみがある。その多くは女性と子どもたちの役割のようだ。バケツやアルミやポリタンクに水を入れ家に持ち帰る。子どもや女性が持ち帰る水の量などしれたものだ。その水が貴重なことは容易に想像できる。
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人が生活すればゴミが出る。どこにでもゴミを捨てる。家から掃きだされたゴミは路地にたまる。生ゴミなら野良牛や水牛、犬、野良ヤギが食べる。最近はゴミ収集車も走っているらしいが、収集するシーンを見ることはなかった。プラスチック製品がゴミとなって川はゴミだらけである。昔のゴミは土にかえったが、プラ製品は土にはかえらない。プラスチック製品は人々の暮らしを便利で豊かにしたにちがいない。一方で捨てられたプラスチックが解決するまでには時間がかかりそうだ。

脱線のついでに、ネパールに来てから不思議に思っていたことの一つに「墓」を見ないことである。どこにもないのだ。ネパールは火葬、土葬、鳥葬があるとスシル氏はいう。「私のお父さんは心の中に生き続ける。何も残らない。残さない」のだと。
カトマンドゥでは火葬で亡骸を灰にしてガンジス河の支流のマティー川に捨てるというものらしい。パシュパティナートという地でマティー川の対岸でその様子を見るツアーがあるらしいのだが、メンバーの中に一人でも見たくないという人がいればこのツアーは催行しないというものだったため、見ることはかなわなかった。 つづく  guni K
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# by wcm050401 | 2008-04-10 07:50

ネパール旅行記6

セティ渓谷(川幅が狭く、足がすくむほどの深さ(50m)で乳白色の水が流れている)を見た後、 旧市街地のヒンドゥバシニ寺院へ。小高い丘に登ると殺戮神をドゥルガーと繁栄神ヴィシュヌ、クリシュナ神を祀る本殿がある。そこの一角では断食中の女性たちが儀式の真っ最中だった。
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旧市街地のオールドバザールを訪れる。ここはチベットとの交易でにぎわっていた街で、ネワール様式の家々が残る町並みを見ることができる。

狭い道に車と犬と人とバイクが行きかい、私たちは何度もクラクションを鳴らされ、車にお尻の肉をそがれそうになる。
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日用雑貨や結婚式に使う金銀製品の商店が立ち並び、店番をする少女にも出会う。野菜は日本でも馴染みの野菜ばかりだ。こちらではキロ単位で買い物をするそうだ。


古い街並みの一角にはスシル氏のお姉さんの嫁ぎ先がある。
お姉さんの家族に「ナマスティ」と挨拶。結婚した女性はサリーのような衣装を身につける。色鮮やかな衣装と長いストールを上手にアレンジしている。
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汗ばむほどの気温は肌寒い日本から来た私たちにはちょっときつい。迎えのバスに乗り込みホッとしたいのだが、いつまでたっても車内は涼しくならない。扇風機がブルンブルンとフル回転しているのだ。
そう、このバスには冷房などないのだ。ショック!
数分走ったところで、渋滞に巻き込まれる。一向に進まない。バスの車掌が降りて情報収集したところによると、チベットの紛争で武器がポカラに入って来ているらしいので、道路封鎖をしているところだ。あと20分ほどは動かないというが、その実態はわからない。
旅が無事に続きますようにと祈る。  つづく guni K
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# by wcm050401 | 2008-04-08 11:12

ネパール旅行記5

3月25日
4:15 モーニングコール文字通り、ドアの向こうで「おはよう」と声をかけられる。礼を言ってから今日の顔を大急ぎで作りあげる。熟睡の娘を起こすと枕を一発殴って「フン!」と鼻息が荒い。自分の機嫌は自分でとってもらうしかない。ヌボーっとしている娘に時間に間に合うようにと一言だけ告げる。
水分を少し補給し、一言も発さない娘とロビーに向かう。
4:45 バスに乗って闇を走る。街灯などはほとんどなく日本では考えられないほどの暗さだが、ヒンドゥー教徒は日の出前に寺院に行くらしく、下弦の月あかりを頼りに、男も女も一人で歩いている。この闇の中を歩くことに不安はないのだろうか、それとも信仰からくるものなのだろうか。
(ネパールの電力は水力発電。電力供給は不十分で停電は日常茶飯事なのだ。昨夜は入浴中に停電があった。)

街中に差し掛かると、朝5時だというのに、店が開けられ、野菜の販売も始まろうとしている。その準備をしているのはどこも女性ばかりである。
バスは30分ほどかけて「ワールドピース・パゴダ」の丘のふもとにつく。懐中電気を持ってでこぼこの山道を歩き始める。少しの傾斜だがただひたすら歩む。15分も歩かぬうちにあれほど喋っていた仲間の会話がなくなる。皆の歩く音と、荒い呼吸だけが聞こえる。私も口から心臓が飛び出しそうなほど全身がドクドクと音がする。こんな状態で45分も山道を歩くとは・・・しんどい。丘の上に見える白い建物へはなかなかたどりつかない。だんだんと夜更けが近づき、小鳥の声が聞こえてくる。小鳥の姿は見えないがネパール語で鳴いているようにさえ聞こえる。

丘の上(1113m)に着き息を整えながらアンナプルナ連峰の夜明けを待つ。山は燃えるだろうか・・・。
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一番高い山頂の雪がオレンジに染まっていく。
その神秘にカメラを向ける。
陽が昇り空が美しいブルーに変わるとやがて山々は色あせてくる。
チョコレートとアメを口に含みながら静かに山を見守る
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何やら後ろが騒がしい。振り返ると4・5歳の男の子が籠を背負いポリタンクを持ったまま立っている。ポケットにはすでに観光客から貰ったビスケットやアメが入っている。こうやって毎朝丘にやってくる観光客からお菓子をもらっているのだろう。
水くみの仕事も忘れたように、ただ黙って立っているのだ。
日本人はどのような感覚でこの子のポケットにビスケットを入れたのだろうかと、ふと考えてしまう。
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 ホテルに帰る前に、「パタレ・チャンゴ」(地獄の滝という意味)に立ち寄る。フェア湖から流れる水が地中に吸い込まれて岩壁の大穴から滝となっている。今は乾期なので水量は少ないが滝は深そうだ。ここは「デヴィス・フォール」という別名もある。その昔、スイス人夫婦がハネムーンにこの地を訪れ、妻デヴィットがこの場所で川に流されて行方不明になったという話である。
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ハイキングの後の朝食は美味しい。
ハイキングの後遺症で足腰はすでにガクガクしているが、ホテルの敷地内を散策する。三角に研ぎった「マチャプチャレ」(6993M)が美しい。崖の下には石灰岩を含んでいる乳白色の川の水が流れている。
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昼食のチベット鍋を食べにポカラの街に出発。肉類は入っていないようだ。魚と水牛の乳で作ったチーズボール、キャベツに人参、インゲン豆、カリフラワーの入った塩味のあっさりスープの鍋である。ご飯にこのスープをかけていただくと、これが美味しい。
いつまでたっても冷めない鍋だと不思議に思っていたが、独特なこの形の鍋の中央をそっと覗くと、真っ赤な炭が入っていた。   つづく guni K
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# by wcm050401 | 2008-04-07 11:21

ネパール旅行記4

バスに乗り込み50Mの崖の上に立ったリゾートホテルへ向かう。
お湯の出ない部屋で一休みした後、ペワ湖畔の「フィッシュテイルロッジ」で魚料理をいただく。
実は、このロッジに行くためには幅30メートルほどの湖を渡らなければならない。「渡し船」ならぬ「渡し筏」なのだ。私たちは筏が片寄って浸水しないように、立ち位置を考えながらゆっくり乗り込む。船頭は向こう岸に張ってあるロープを力いっぱい手繰り寄せながら筏を岸に運ぶ。
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魚は少し泥臭さはあるが、香ばしく焼けていている。薄味で思ったより美味しく食べられる。野菜の味付けもシンプル。パスタはまるでナポリタンのような味付けであった。
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外は急に薄暗くなり突然の雷雨。まだ雨季ではないはずなのに・・。誰だぁ?アメ女は??

  食後は小雨のポカラ市内を歩く。この小雨避けのために思わず商店に入ってしまったのだ。店員が、「ナマスティ、ハロー、コンニチハ・・」とさまざまな言葉で話しかけてくる。「ミルダケ~、ヤスイヨ! ミルダケOK・・」と繰り返す。少しでも興味を示そうものなら、商品が出てくる出てくる。
まとめ買いをさせようと、「ミンナニ、オミヤゲ オミヤゲ・・ ヤスクスル イクラナラ カイマスカ?」と。
ドルも日本円も使える。電卓でお互いに数字を打ち合って商談をする。
今年のカレンダーをまとめ買いするので、ひたすら値切って商談は成立。
CDショップにも出かける。事前にインターネットでネパール音楽をチェックしていたので、欲しかったものをまとめ買い(1枚7㌦)をする。
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雨上がりの街なから、マチュプチュレ(6997M)という山が見えたとのことで、急きょサランコットという丘にバスで向かうことになる。丘の付近では観光客を相手にする人々の生活が垣間見える。毛織物やアンナブルナ連峰のポスターを売る。「ミルダケ~ ヤスイ 1枚100ルピ ミルダケェ」と連発する。
 
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1592mの丘の上では、想定外の観光客のために店を急きょ開店させたようだった。女性店主が機織り機を出し、少女にデモンストレーションを指図する。店主は「コレ パシュミナ ヤスイヨ」と勧める。要らないとはっきり断ると、目線の先の毛織物を取り出し「ヤク」の毛織物をすすめる。確かに手間のかかった物と思い購入する。これを日本人が機織りした場合に1枚1700円で販売するだろうか?原価はわからないがどう考えても安いと思う。この少女と女性が一家の経済を支えているようにも思える。この女性たちの物を何か買わねばと思ったのは事実である。
5000円を支払い、大きな黒いポリエチレンの袋に3枚が入れられた。

アンナブルナ連峰は残念ながら見ることはできなかったが肌寒い空気には澄んでいて香辛料の匂いはしなかった。 つづく  guni K
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# by wcm050401 | 2008-04-06 00:21

ネパール旅行記3

3月24日
 ホテルの7階で食べるものがほとんどない朝食を摂る。チョコクロワッサンにかぶりつく。子どもの頃に食べた懐かしい硬さのパンなのだ。
ゆで卵に塩を塗りながら、卵はどこも味が同じだとホッとする。
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 今日はカトマンドゥから西に町に移動する。200㌔といってもバスで移動するなら7時間はかかるらしい。私たちはイエティ航空の小型機でひとっ飛び!の予定。(定員は30人)
この小型機が1人の荷物が15キロ以下ってヤツだ。団体で計算するから、おそらく問題はないはずとスシル氏の言葉を信じる。見たこともない大きな体重計に私たちのスーツケースが積み上げられ、シールが貼られていく。
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 スーツケースを預けた後は、男女別の入り口に進み係員に体に触れられて身体検査を受ける。
出発ロビーには小さな売店が3か所あり、品数も豊富だ。
正面のショップでは熱いチャイが飛ぶように売れている。一杯が40ルピらしい。(1ルピ=1.8円)

ところで、フライトの予定の時間になっても搭乗の案内がない。
電光掲示板もなければマイクなどもない。待つこと1時間。小柄な男性がネパール語で突然搭乗案内をする。私たちに聞き分けられる言葉は英語で読み上げられる数字だけ。チケットには座席の指定などない。進行方向に向かって右側の窓際に座ればマナスル(8163M)などが見渡せるらしい。大阪のオバちゃんはすごい!我先に乗り込みパートナーのために座席を確保していたらしい。これも夫婦愛? 
いよいよ出発、外に目をやると、アララ?
なんと添乗員とガイドが血相を変えている。空港職員と言い争っているようすなのだ。何が起こったの?
私が乗り込んだ後ドアは閉じられ飛行機はすでに離陸態勢に入っているのだ。私たちは添乗員とガイドが居ないままポカラという町に向かうのだ。外では添乗員が必死に手を振っている。飛行機は速度上げ一気に飛び立った。フライトアテンダントは何事もなかったように、機内サービスを始める。気圧で膨らんだピーナッツの小袋とキャンディ、コーヒーを、にこやかにサービスするのだ。フライト時間は30分程度というのに・・・。
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 マナスルを見ながら、ポカラに到着。スーツケースを受け取り、ツアーの仲間は添乗員とスシル氏を待つしかないのだ。添乗員のスーツケースは届いているというのに・・。知り合ったばかりの私たちは「待つしかないですネ」と確認し合う。
待つこと20分、小型機が着陸する。その中から添乗員とスシル氏が走ってくる。ロビーは拍手と大爆笑。   つづく  guni K
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# by wcm050401 | 2008-04-04 17:08

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